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2005.03.30

アナウンサーだから

「さあ、九回裏、ワンナウト一、二塁。一発出れば逆転サヨナラです。ピッチャー、ふりかぶって、投げました」
 そんなことは画面を見ているものは誰でも知っているのである。

 ぼくは何年かまえに一年ほどロンドンに住んでいたとき、BBCでウィンブルドンの中継を見たことがあるが、BBCのアナウンサーはプレーヤーがサーブをする瞬間はいうまでもなく、プレー中もほとんど口をきかなかった。ただカメラだけがプレーヤーの動きを追い、最後にショットがきまったときに彼らはひとこといった。
「エクセレント」
 それが何ともいえぬ緊張感を表現して、じつにみごとな放送だった。彼らは見ている人間が画面から何を知り、どう感じているかということを心理学者のように知り尽くしているのだといいかえてもいいかもしれない。
 あるときぼくはNHKのアナウンサーとこの話をした。ぼくは民放のアナウンサーとくらべると、NHKのアナウンサーのほうがずっとおしゃべりではないと思っているが、それでも彼はいった。
「分かっているんですがね。しかし、しゃべっていないと不安でたまらないんですよ」
 たしかに彼らの仕事はしゃべることである。だからしゃべっていないとはたらいているような気がしなくて不安になるのだろう。ましてや自己主張をすることでもないはずである。美しい風景を美しいままに伝えることで、それには現実に対してもうすこし謙虚になり、口をつぐめばいいのである。

海老沢泰久『暗黙のルール』新潮社2000年

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