賢い人には友がいない
以後、なんとなくフリーという人生を過ごしてきたのだが、実態は思っていたのより、ずっと過酷で、フリーの下にターがつく。つまり、中年オヤジのフリーターなのである。定職がないから定収入がなく、あまりのストレスで二回吐血した。退院してからしばらく、深夜テレビ劇場で昔の時代劇映画ばかり見て過ごした。
そのときに考えた。
時代劇の素浪人がやたら人を斬るのはなぜか。素浪人が素浪人を殺すのは、素浪人仁義に欠けているのではないか。
その理由は、素浪人が素浪人の営業妨害をするからだ、と気がついた。定職を持たない素浪人の敵は素浪人なのである。
とすると、フリーターの敵はフリーターになる。フリーになったときは、サラリーマン時代の反動で無頼になって、フリーター仲間と好き放題をした。そりゃいい気分で、ようやく本来の自分を取り戻した、と思っていたのに、利害がからむと、フリーターは、たちまち敵と化す。
敵はすぐにやってきて、編集者時代には仲のよかった評論家にぼろくそにけなされた。それで倍返しで仕返しをすると、また別の人にけなされて、泥仕合になった。フリーで食っていくのは人斬りと同じであることがわかった。
ヤクザ者はヤクザ者を嫌う。スケコマシはスケコマシを嫌う。ギャンブラーはギャンブラーを嫌い、芸人は芸人を嫌い、貧乏人は貧乏人を嫌う。どうもそのようなのである。
会社勤めをしていたときは、自分には能力があるとうぬぼれていた。バカなやつが嫌いだった。性格よりも才能のある者を友とした。そういった過信は、広い世間に出るとコッパミジンに打ちくだかれて、自分がいかにバカであるかを思い知らされた。すると、いっそのことバカになったほうがいいんじゃないか、と思いなおした。
嵐山光三郎/コンセント抜いたか!『週刊朝日2006.4.28』
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