桜愛人論
梅に比べて、桜はまさに梶井基次郎が、「桜の樹の下には屍体がある」と喝破したとおり、死者の精を吸い尽くしたかのように咲き狂う。この美しさというより艶やかさは、まさに愛人そのもの。
とにかく桜の咲き方には、まわりや人目など一切気にしない。自分だけ美しければいい、といった気配が満ちている。
実際、桜は周囲の建物はもちろん左右に並ぶ末や柳や他の樹木など相手にしていない。というより、これらすべてを、自分の美しさをきわだたせる道具にしてしまう。
だからこそ、桜は生け花にはつかわれない。というより、つかえない。
いうまでもなく、生け花はさまざまな花の調和で成り立ってているが、桜が入ると自分一人目立とうとしてバランスを崩してしまう。
むろん、こういう花は床の間などには飾れない。もし飾ったら、床の間の落ち着きや優雅さを損ねるから、せいぜい玄関の大きな壷に枝ごと投げ込むくらいしか、つかいようがない。
だから桜は愛人、というと、怒り出す愛人もいるかもしれない。
いや、わたしは、そんな独りよがりの桜ではない。本妻よりはるかに控えめに、慎ましやかにしているはずだと。
たしかに、そういう愛人がいるかもしれないが、本妻から見たら、一人だけ勝手に気儘に咲き誇っている女、に見えなくもない。
そしてなによりも、梅と桜の根本的な違いは、梅は実をつけるが、桜は実を結ばないことである。
さくらは咲くことだけはに全力を傾けるが、梅は咲くのはほどほどにして、花が散ったあとに実を成して、さらに存在感をアピールする。
まさしく本妻のように、といいたいところだが、最近は本妻と愛人の区別が曖昧になり、桜のような本妻と、梅のような愛人が入り混じっているのが、特徴かもしれない。
渡辺淳一/あとの祭り 連載192 桃の花はなにか・・・『週刊新潮2008.3.27』
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