時間感覚
我々が理解していないことを理解しているような気にさせる何かについて。それは時間の経過。我々は時間の経過の中を泳ぎながら徐々に沈んでいき、最後に溺れ死ぬ。こんな意味のないことを一大イベント扱いする一方、コンスエラはここで人生最大のイベントを経験しているのだ。壮大な結末。といっても、何が終わるのか(本当に何かが終わるにしろ)わかっていないし、何が始まるのかももちろんわかっていない。誰もわかっていないことに対する盛大な祝典。
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我々が理解していないことを理解しているような気にさせる何かについて。それは時間の経過。我々は時間の経過の中を泳ぎながら徐々に沈んでいき、最後に溺れ死ぬ。こんな意味のないことを一大イベント扱いする一方、コンスエラはここで人生最大のイベントを経験しているのだ。壮大な結末。といっても、何が終わるのか(本当に何かが終わるにしろ)わかっていないし、何が始まるのかももちろんわかっていない。誰もわかっていないことに対する盛大な祝典。
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人間はいつか必ず死にます。ただ、多くの人はその真実に触れる準備ができていない。ホスピスから社会を見ていると、そう感じることが多いんですね。
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2006年、日経新聞に「子猫殺し」と題された坂東さんのエッセイが載った時、坂東さんは特にネット上において、ずいぶん叩かれた。生まれたばかりの子猫を殺した(実際には「捨てた」のだが)と告白する坂東さんは、どれほどバッシングしても構わない相手として、世間から認識されたのである。
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三重県いなべ市の市長が市内で執り行われるほぼ全ての葬儀に出席し、香典として税金から4年余りで562万円を出資していた。
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亀井は、文筆家の池田晶子と対面する前年、癌の手術をしていた。その亀井に池田は、死刑に処される直前のソクラテスが死生観を語る文章を示したのである。
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橋本 二十代の頃、夜の世界に生きる人達に囲まれていました。あの世界では、「死」が身近なんです。また、たまたまでしょうが、僕は親族を何人も失っています。友達をなくすという事、家族を亡くすということは僕にとって特別なことではないんです。死は日常の出来事です。当たり前のように訪れてくることなんです。
―お葬式のシーンが印象的でした。
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今年に入ってからは、日に日に体力が衰え、自宅で寝たきりになりました。声もかすれ果ててしまいましたが、母が質問すると、答えてくれました。
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「70歳を過ぎると、高齢者として周りがなにかと気に掛けてくれる。『姿が見えないけど、どうしたんだろう』となる。ところが65歳以下だと、『また、どこかに出掛けたんだろう』という認識でしか見ない。それで、孤独死しても気がつかない」
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――当日の診療記録。<便のにおいがする。本当に出たんだ。また、下着を替えたり、足がぶつかったりしながら、帰ってきた。ようやく布団に戻る。横になるがすぐ「起こせ」と座位になる。三回目のトイレ。さすがに妻と娘は疲れ果てて、息子一人では運び出せない。俺の出番だ。トイレに行き、息子と二人で布団まで運ぶ。まだ息がある>
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私が「希望は、戦争」と書いたのは、戦争が起きればお金持ちから貧乏人まで、国民すべてが平等に生死のギャンブルにさらされ、社会が流動化すると思ったからです。
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そもそも同構想は日本財団が、逼迫する火葬場問題に対して「議論のきっかけに」との狙いで提案した。構想の存在そのものが、火葬場問題の象徴でもあるのだ。
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ネットの自殺サイト上で、どの製品を使えばガスが出るかなどの情報が交換され、ハウツーが全国に広まったようだ。サイト上の書き込みには、「きれいな死に方ができます」「あっという間にノックダウン(意識消失)」などと、硫化水素での自殺方法を"推奨"するような記述が見られる。だが実情はどうなのか。
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早期退職して、後は、ボーっと好きなことをして暮らす日々を夢見ている人は多いだろう。しかし「のんびりと過ごす」ことは長生きには繋がらないようだ。
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その間には、大ヒットしたウォークマンのアイディアを出したりもしていますが、父の関心はむしろ、幼児教育や東洋医学、気といった、形のないものに移行していきました。すでに西洋的な近代科学は限界に近づいており、それに代わる新しい考え方必要である、「もの」から「人間の心」へとパラダイムをシフトしなければならないと考えた父は、八十歳を越えてから自ら所長となって脈診研究所(現・㈱エム・アイ・ラボ)を開いたり、ソニーにエスパー研究所を設置するよう働きかけたりしました。
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学校ではナチのイデオロギーばかりを教えられ、毎朝、大きな地図でドイツ軍のロシアでの進軍状況を示され、朝礼はいつも直立不動で「ハイル・ヒットラー」と叫ぶことで終わりました。戦況の悪化は知らされず、ドイツは新兵器を開発したから絶対に勝つと教えられました。遠き同盟国、日本の勇気ある特攻隊が賞賛されていたのを覚えています。
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あれは、ちょうどウタコさんがきている午後だった。お祖母さんがおもむろに彼女に言った。
「大きくなったでしょ」
「ん?」ウタコさんが、お祖母さんの口の方に耳を向けた。
「顔の、腫れ」
するとウタコさんは首を傾げながらこう答えた。
「あたしには、あんまりわかんないけどねえ。こないだと変わんない気がするけどねえ。うーん」
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ここで従軍記者証を手に入れて戦場へ乗り込みました。司令官に挨拶に行ったら、女だから一瞬ギョッとされたけど「一人前の記者なら男だろうと女だろうと関係ない。特別扱いもしないから、責任は自分で取れよ」と言われたのが小気味よかったわね。
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亡くなる3日前の朝、おばあちゃんはおふくろを枕元に呼んで「手を出しなはれ」と言って、おふくろの手を握り、「いろいろ苦労をかけたねえ」「あんたにはホントにお世話になって意地悪もあったし苦労もあったけど、みんな許してくれ」とねぎらったんです。おふくろはそのことを本当に喜んでいました。「苦労した甲斐があったって」
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昨年まで自衛隊中央病院(東京・世田谷)の精神科部長を務めていた福間詳医師(50)は、「起きるべくして起きたんです。だって、彼らは"戦場"に行ったんですから。帰国後の診療では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や強いストレスを抱える隊員が多かった」
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五木 そうすると、ごく自然に、いい感じで生きることは、八十歳までは可能であろうと。
帯津 と、思いますけれど。
五木 うーん。とりあえず、健康で長生きということのめざす目的は、八十歳。八十歳までは、何とか健康で生きるということが、現代人の一つの目標になりますね。私は七十五歳というのを、ずっと前から目標として掲げていたから、あと一年しかない(笑)。
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親父が噺家になることに猛反対だったこともあり、親父とちゃんと話したのは、その翌年、親父に癌が見つかって入院させた昭和38年(1963)でした。
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人間の中には抑えることのできない破壊的衝動があって、それを正面から見据えて性悪論で政治を組み立てる必要があるという考えに私は傾いています。ちなみに、後悔しないために一番よい方法は、あの世を信じることです。そうすればこの世の出来事であれこれ後悔する必要はない(笑)。
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1932年の3月、菱沼五郎がここで団琢磨を殺すんです。その一ヵ月位前には小沼正が井上準之助を本郷の方で殺しています。当初この二つは接点がないと思われていたんです。
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散歩代わりのお墓ウォッチング、人々はそれらを読みながら楽しく散策するだろう。墓誌、墓碑ウォッチングというのは、読む者には、その意味で究極の楽しみである。人生つまり、その人間の最終形が、そこに刻印されている。人生の〆の一言である。人は、記された言葉から人物を想像したり、感心したりしながら読んでくる。
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七二年、先生の訃報を聞き、鎌倉の自宅に駆けつけました。奥様はその晩は、「(原因が)わからない、わからない」と言っておられましたが、きっと後になって自殺の理由を奥さまなりに納得なさったのではないか、と思います。
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『中世の秋』を著したホイジンガによれば、つねに死を想えというのが、西欧中世を特徴づける常数であった。似たような事情は日本の中世においてもいえる。『徒然草』には、ほとんど強迫観念に近いかのように、迫り来る死という主題が反復されている。いや、言葉を換えていうならば、死を分光器として人間の営みのいっさいが語られているといった印象が、いたるところで見受けられる。
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「ところが、ド・モワブルはそう思っていなかった。物理的なデータをもとに、予言不可能と考えられている事象を予言すること――ド・モワブルはそれに挑戦しつづけたんだ」
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でも漫画家らしいと言いましょうか、ユーモアに溢れたお酒でしたね。主人は自分の持っている草野球チームの面々と、毎年箱根のホテルで打ち上げをしてました。そこで恒例の宴会芸を仕切るんです。
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魚住 つまり、一〇〇〇年以上も昔、それもナザレという中東の町での出来事を描いているのに、絵の中の人物がまとう衣装は中世ヨーロッパのもの、つまりその絵を見ている人々と同じものだといういことですね。それでも彼らは違和感を抱かなかったということですか。
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せめて自殺する子を思いとどまらせることはできないか。彼らにおいて、自殺は逃避ではなく抗議の手段である。私はいじめられていました、いじめた子は誰と誰です、私は死をもって抗議します。言外にあるのは当然、私の死によって君たちは永久に罰を負え。
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部屋の隅でこの膨大なコレクションをどう処理しようかと考えていると、部屋の中に依頼人である奥さまが二十代半ばくらいの娘さんを伴って入ってきました。最初は外で待っているとおっしゃっていたのですが、気が変わったのでしょう。
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「亡くなったあと、天国から変わり果てた自分の姿を見下ろしたら、もう、やりきれないじゃないですか。70年、80年とさんざん苦労して生きてきて『最後はコレかいな』って。だから亡くなっても24時間以内、きれいな姿のうちに発見する方法はないか考えています。それによって商売が減ってもかまいません」
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おそらく、教育の現場でも死を遠ざけています。死体を見せたら情操教育に悪いと言うかもしれません。しかし、そんなことを言ったら私はどうなるのか。何十年も死体を解剖し続けてきました。こんなに情操教育に悪いことはない。しかし、幸いにも別に暴力的な人間になっていないと思います。
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たぶんもう手遅れである。子供にはとりあえず、これだけは教えておこう。人を殺したくなったら、自分が死ぬ。それが順序というものだと。
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その夜、夫は信じがたい報せを受けて茫然自失したという。吠えるように夜を徹して号泣していたと、彼の母親から私は聞いた。
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永代使用料52万5000円と年間管理費1万円強を支払えば北海道の広大な樹木葬公園に散骨でき、植樹した木をお墓代わりにお参りできると謳って、2年前にスタートした長沼町の散骨事業。
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今後の成長が絶対確実で、なぜか若い女性に注目されている、意外な業種がある。それは葬式ビジネス。マーケットの指標となる数字、はつまり死亡者数なのだが、平成元年が七十九万人だったのに対して、昨年は百八万人。団塊世代の高齢化に伴い、平成五十年には百七十万人に達すると予想されている。マーケットは拡大する一方なのだ。関連事業を含めると、市場規模は三兆円を超えるという計算も。
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あるとき中野は、「これまで僕は文学に生き、いい文章を読んで人生を送ってきたが、それは本当に良かったな、、いい人生だったな」としみじみと語りました。
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二月十七日(火) 何かあれば木曜以前に知らすとの桐山美和医師の話で、今日までなきはガンはなかったかと空だのみする気がないではなかったが、十一時すぎ昼めし(わが家の昼食は十一時也)を食いかけたとき電話あり、妻の秀「桐山進先生からの電話よ」という。
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「若くて長生き」。それは一見いいことだ。が、メメントモリ(死を思え)という言葉が示すように、人間は死と向き合うことによって人生を思い、己の内面を深めてきたはずだ。「お若いですね」と言われて喜ぶのもいいが、「年相応」に老いることもまた大切ではないか。
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サルトルの夫人であるボーヴォワールという哲学者がいます。彼女は「老い」という著書のなかでやはり死について言及しています。自分が死にたいする悲しみをいくぶんか和らげられるようになったのは、死を世界における不在だとかんがえられるようになってからだといっています。
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今朝六時哈爾濱に着いた筆者は友人と三人で朝の傳家甸を歩いてみた。大観園の裏通り長春三道街には朝の太陽が燦々と降りそそいでいる。私達はここまで来るうちにすでに九個の素裸にされた死体を見て来ているのだ。そしていまさらにまた私達の眼前には三つの死体が転がっている。もちろん街路の中央にである。
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人間には味のわからない二つの水がある。一つは生まれたとき、はじめてガーゼに含ませられて唇を濡らしてもらう水の味、もう一つは末期の水である。
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その時、俵孝太郎の読み上げた一行が、ボクの背筋を凍らせた。
「元ビートルズのメンバー、ジョン・レノンさんが、自宅アパート前で射殺されました」
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子どもがいじめられて自殺したような場合、それは親が自殺したというのと同じです。つまり、親の代わりに子どもが自殺したのだと思えば、それが一番真実に近いのです。
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国正 私は当時朝日新聞で、大平内閣の官邸長をやっていました。大平さんは最後に福田さんと直接対決したのですが、福田さんはあくまで「君、辞めろ」と迫りました。大平さんが「辞めろというのは、死ぬということか?」と聞くと、福田さんは「そうだ」と。このやりとりは自民党史に残る名セリフとして記憶されていますが、政治家が発する「死」という言葉を、中曽根さんはどう受け止めますか。
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当時の上海を象徴する有名人に、鄭蘋如という女スパイがいた。中国人司法官の父と日本人の母の間に生まれた鄭蘋如は、人並み外れた美貌の持ち主だった。
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終末期のリハビリテーションの最終目的はご遺体が「身体として人間らしくある」ということである。介護の究極の目標は美しいご遺体をつくりあげることである。
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〇三年四月七日、B棟八階の職員から、「ちょっとお願いがあるんだけど。房を替わってもらえないかな。ちょっと難しい人たちのいるとこで、そこに挟まれているとみんな参っちゃうんだが、あなたなら大丈夫だと思うから頼む」という話があった。
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小椋 鎌田さんから演じると言われたことと通じるのですが、僕、人間、生きている場が全部舞台だと思うんですよ。だから、歌謡曲で一番嫌いなのは、慣用句だけ使って並べて歌ってる歌ですね。やはりそれぞれの作家が自分の思いをきちっと表現している歌がいいわけで、それはお医者さんにもいえますね。何か、マニュアルを読んでいるような応対では困るので、やはり演じてくれるというか――演じるというのは、何かの振りをするという意味じゃなくて、自分をそこで表現することですが、そうすると、患者も温かいものを感じとることができると思うんですね。
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「・・・・・・ところで、さきほどの救急隊から聞いたのですが、どうしても、救命センターへ運んでほしかったんですって? おばあちゃんを」
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10年連続自殺率日本一の秋田県で、食い止めに挑む男がいる。佐藤久男さん(61)。一時は景気がよかった不動産会社が倒産し、文字どおり、天国と地獄を味わった。その経験をもとにひとりでも自殺者を減らそうと奔走している。
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ほんの数日前、父が亡くなった。わずか数ヶ月前に母がこの世を去ったばかりだった。複雑な事情があって、私はいずれの葬儀にも参列せず、教会の慰謝を求める気にもなれなかった。だが、立て続けに近親を失った心は宗教的救済、精神分析、果ては交霊会にさえすがるものであり、死の悲劇を乗り越えさせてくれる何か、ひとりで祈る以上の大きな意味があることを期待して。
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終戦を迎える直前には、旧東海道沿いにありました家の前を、荷車に載せられた死体が毎日のようにぞろぞろと通っていたのを覚えております。浜松市には軍需工場がありまして、そこが空襲を受けたのです。家ごと焼かれた人々、あるいは機銃掃射によって殺された人々、大名行列ならぬ死体行列でした。
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芭蕉は一般には枯れた人、あるいは閑雅なる俳人というイメージがあります。しかし、常に前衛の人であったと私は思います。名前の「芭蕉」とは、中国原産の大型多年草で、小さなバナナが生るバナナの木のことです。
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「理想ではないけど、植村直己、三島由紀夫、内蔵助、この3人は凄い。追い詰められての自殺ではなく、自分で死を創造している凄さです。しかし、これという見本の死に方はなかったなぁ。どういう覚悟で死に臨めばいいか。じつは覚悟しようがないんだ。ほとんどの死
は、本人が予想もしない形でやってくるんだから。典型が、今回('95年)の震災でしょう」
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生きていると、様々な悲しいできごとに出合います。もっともつらく悲しいのは、身内を亡くすという体験です。大事な人を失った深い悲しみを英語で「グリーフ」といいます。「泣くのは恥ずかしい」「もっとつらい思いをしている人もいる」と我慢して感情を抑え込むと、心や身体の病気になってしまいます。悲しみを様々な形で表に出し、受け入れていく過程を「グリーフワーク」といいます。人それぞれに悲しみの深さは違いますが、多くの人は次のような四つの段階を経て、悲しみを受け入れていきます。
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身分制度が厳格で贅沢を戒めた江戸期の葬送は、日没後の夜間に駕籠で座棺の遺体をひっそり運んでいった。それが身分の差が取っ払われた明治維新以後、寝棺に傾斜していくだけでなく、「葬列は世間に対して見栄をはるための儀式という性格を強めてきた」
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家でも学校でも孤独な少年。その時間が感性を育んだのに違いありません。そして今、谷川さんは"ひとり"を愉しみつつ創作に励んでます。
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吾妻 ホームレス生活のノウハウが身について安定すると暇になるんですよ。ネコは人目につかないように死ぬといいますね。私もかっこつけて死のうと思っていたんだけど、暇すぎるのもけっこうつらいんだ。体使って働いている人がまぶしく見えました。
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翌6日は、自宅でパーティーを開いた。大勢のオランダ人の友人が訪れ、ワインで乾杯し、しのぶさんと別れの言葉をかわした。4月のオランダには珍しく快晴で、庭に出てみんなで写真を撮った。その合間に、紳司さんはホームドクターの処方せんを持って、薬局へモルヒネを買いに行った。
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僕らは普段の生活において、死というものにほとんど直面しないで生きているわけだけれど、激戦の行われたそのノモンハンの戦場に立ったときには、そこにはほとんど死しかありませんでした。
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ヨーロッパのあるテレビ局が行ったアンケート調査が話題になっている。約5万人からの返答による「お葬式で流したい曲、ベストテン」だ。
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帝国ホテルを住まいにした人に、オペラ歌手の藤原義江氏がいる。英国人を父に、日本人を母に生まれ、「われらがテナー」と呼ばれて一世を風靡したテノール歌手。ホテル暮らしは1964年に66歳で引退する前後からだったが、帝国ホテル正規の料金を請求することなく、77歳で亡くなるまで手厚く遇した。
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寝たきりになり、あるいはぼけて他の人と自由にコミュニケーションが取れなくなったのに、なぜすぐに死は訪れないのでしょうか。
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「日本にいるゾウたちは、人間の勝手で連れてこられたのに、それでも一生をかけて人間を慰めてくれているんだよ。それなのにゾウたちは結局、コンクリートの狭いゾウ舎で孤独に死んでいくんだ。いつか僕はそんなゾウたちに、幸せな余生を送ってもらえる楽園を作りたいんだ」
哲夢は生前、口癖のようにこう語った。(まえがきより)
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「頭の中で、このコーナーはどのようなラインをとればいいか、次のコーナーはどうかと、一周をどのように走れば理想的に走れるかイメージを組み立てているんだ。そして理想のイメージができあがったときにタイム・アタックに出て行く。あとはそのイメージどおりに走るんだ。イメージどおりに車がコントロールできればいいタイムが出る」
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自殺死亡統計の概況
平成15年の1日平均自殺死亡数を死亡曜日別にみると、「月曜日」は男80.7人、女27.3人と最も多くなっており、「土曜日」は男53.5人、女21.2人と少なくなっている。
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前著『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』でも書いたが、日債銀の本間忠世社長(2000年9月、日債銀の社長に就任してわずか2週間後にホテルで死体となっているのを発見された)は、本当に自殺suicideしたのだろうか?
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私は、ひょんなことから葬儀社へ勤め、死体をお棺に納める湯灌・納棺の仕事を専門にしていた時期があった。文学青年が挫折の果てにアルバイトのつもりで勤めたのだが、親戚から「親族の恥」と怒鳴られ、何度も辞めようと思いながら勤めていた。
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ぼくは死に際の風景といったものについて、なにも思い描いたことはない。どだい死ぬとは思っていないが、そういう時がくれば、そっと自分だけにしていただきたい。ただそれだけが願いだ。
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大学5年の2月ごろ、下宿から自宅に帰ると、父親がまっ黄色い顔色をしていた。黄疸だ。医学部生だった名越はとっさに癌を考えた。主治医に癌であることを確認し、「もう死ぬんやな」と思った。
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昭和二十一年十二月の十日頃、銀座の佐々木旅館で重病の床に就いていた織田作之助の所へ、とつぜん、菊池寛氏が見舞いに立ちよられた。
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米国オレゴン州では、医師による自死幇助が法律で認められているが、同州ホスピス・ナースに対する最近の調査で、水分摂取停止による死を選ぶ人が、医師幇助を選ぶ人の二倍ほどもいることが分った。
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山の場合ですが、遭難者のほとんど―おそらく九五パーセント―が、突然の事故死に直面したときにどうなっているかというと―。
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<<記者 いろいろな事を伺って見たいと思いますが・・・・・・あなたは執筆を楽しみに感ぜられますか、苦しみに感ぜられますか。
芥川 それは一緒ですな、まア楽しみが六分位で苦しみが四分・・・・・・イヤ三分位ですな。其他に機械的に少し書く事がある。
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今の文壇に真の天才あるものを数ふ、露伴紅葉を除けば、僅かに鏡花と女史あるのみ。而して鏡花は邪路に彷徨ふて未だ其の才を揮ふに足らず。唯女史ありて、而して、女史や、其の才を尽くするに及ばずして、藻思を齎して空しく黄土に就く。留めて得ず、呼んで還らず。ああ我は復女史の文を見るだも得ざるべきか。
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瀬戸内 川端さんは、三島さんに「今度はいただかせていただきます」と言ったらしいね。三島さんとしては、そう言われたら、しょうがない。だから、川端さんもやっぱり寝覚めが悪かったんですよね。きっと。もらった後でもずっとね。
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美輪 あの人は、受動的に与えられた貧相な肉体がコンプレックスになっていたわけでしょう。だから、筋肉隆々の体を自前で調達したんだけれど、年をとると、せっかく自分が努力してつくり上げた肉体が無残に崩れていく。それは許せないことだった。だから、自分が作り上げた体が完全な形として維持できている間に、ストップモーションをかけたんですよ。
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その後、水俣病と同じ症状を示しながら、魚介類を食べていなかったがゆえに、脳性小児マヒと診断されていた子どもたちが、実は胎児性水俣病であったことが、やはり熊本大学の研究班によって証明されるのだが、そこにたどりつくまでに、被害者たちがどんな扱いを受けたかみると、行政の体質がまざまざとみえてくる。再び原田氏の『水俣病』(岩波新書)から―。
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作家で詩人の三木卓氏(一九三五年生まれ)は、突然襲われた心筋梗塞の手術を受けた後の実感を、『生還の記 心筋梗塞に襲われて』(河出書房新社、一九九五年)のなかで、こう書いている。
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医学部に入れたから、俺もそんなでもねえんだなと思ったね。親との約束は果たしたから、またバンド活動へのめりこんだ。大学時代は進駐軍に勤めていたような感じでした。
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一九八四年一月、熊本県阿蘇山麓の白川渓谷に沿道から乗車でダイビングして心中した男女があった。男は金沢市内の三十二歳のストリップ劇場支配人、女は同市内のまだ十五歳の調理師学校生だった。車のなかから少女が書いた遺書がみつかった。
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M君は音楽好きの静かな男で、スポーツマンであり、ぼくのようにメチャクチャをしない紳士タイプだった。M君は酒を飲んで好き勝手をしているぼくにむかって、「おまえは長生きしないよ」と口癖のように言っていた。そのM君がさきに死んでしまった。享年四十九歳だった。
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その晩はひどく寒かった。だが、ジャクリーヌ・ケネディは私と妻を車のところまで見送ると言ってきかなかった。彼女はコートなしで、イヴニング・ドレスだけだった。私は彼女が風邪をひくといけないと思って、彼女の見送りを断った。彼女は「大統領も私にお見送りをするように申しつけるでしょう―私もぜひ、そうさせていただきたいのです」と言った。彼女は寒空の下で私たちの車の去るまで立っていた。
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坂口 しかし世の中の評判というものを、そんなに問題にする必要はありませんよ。一体あなたのあの事件を後悔なさってますか―僕は悪い事件じゃないと思うけど。
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2人は森村さん39歳、三宅さん34歳のときに見合いした。離婚経験のある森村さんが「なぜ私と?」と聞くと、三宅さんは「神様がお決めになったのですよ」と答え、四半世紀の道連れが始まった。
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安楽死の国といえばオランダが思い浮かぶけれど、実はスイスでは末期患者が自殺するのを助ける「自殺幇助」が認められている。そこで、安楽死も自殺幇助も禁じられているイギリスから、いわば「安楽死自殺」の志願者がスイスに殺到。これまでに22人が「自殺」していると遺族が暴露し、今、イギリス、スイス両国ではこの「自殺幇助」を巡って大きな問題となっている。
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翌二十九日付けのサンタバーバラ・ニュースプレスは音楽評論家ロナルド・D・スコフィールドの名で前日の夕方、アカデミーの講堂で行われたリハーサルを兼ねたプレビューについての講評を載せている。
昨夜のプレビューは音楽的感興と充足、新しい注目すべき才能を発見する喜びであり、若く活力あるオーケストラによって引き起こされた熱狂であった。もはやリハーサルという言葉は不要であった。
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山津波の鉄砲水で諫早の町は押し流されたんです。わが家も一階が全滅、祖母が仏壇の引出しにしまっておいてくれた僕の漫画も何もかも根こそぎ持っていかれました。その晩、僕はキリスト教研修会のキャンプに行ってたんですが、鉄道が復旧して帰ってみると故郷は無残な姿でした。
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塾の先生は早稲田大学の英文科を出た人でしたけど、その先生のところに田村隆一や、秀才の誉れ高かった詩人の北村太郎(一九二二~九二)とかが詩の話を訊きに来ていました。口をきいたことはなかったけど、グループで塾の先生のところに来ていたのは知っていたんです。
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学生(女) すいません。さっきのテロの話なんですけれども、非常に新鮮に思えた部分はあるんです。ただ、絶対的弱者と絶対的強者という中で、テロしか本当に方法がないのかっていうのをすごく思うんですけれども、先生方はどう思われますか?
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老人には、どのような価値が残されているか。それについては、フランクルの『夜と霧』を思い出す。フランクルは、ベッドに寝たままで、ほかになにもできない患者に、どのような価値があるか、それを問う。それは、その人間が、自分の避くべからざる運命を、どのような態度で受け入れるかにある。それこそが、周囲の人々に、生きることの価値を知らせ、人々を勇気づける、と。それこそが、老年のためにあるような言葉である。
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川崎市で戦前から営業を続ける写真館「スタジオ・シモムラ」の下村晴彦社長は、この伝説が業界でも広範囲に流布していたと証言する。「昔はスリーショットを嫌がるお客様のために、どこの写真館も人形を用意していましたね」
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ライヒ(『宇宙・生命・エゴ』)にならっていえば、この時期に作られる胎乳児の無意識は核の領域とみなされる。ひと通りこの核に対応する胎乳児の履歴を拾いあげてみる。
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「毛くん?」
「そうです」
大きな声で付け加えた。
「それから野良猫が一匹。あんまり元気がなくて、今はぼくのそばに座っています」
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がんを患った私が敬愛してやまなかった日記作家メイ・サートンの『総決算のとき』から引用する。多くの批評家には失敗作と酷評された作品である。
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ヨーロッパでも火葬率が土葬率を上回る所も出てきていて、やがては、日本のように火葬率が九〇パーセントを超える時代も来るかもしれない。但し、その火葬のやり方は日本の場合と全く異なる。『火葬の文化』の中の記述を整理して、相違する主な点をあげると次のようになる。
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出世コースを歩んでいて、気づいたら独身のまま34歳になっていたクリスティーナ・ジョーンズさんは、自分のような女性にとって、子供を持つには若いうちに産んでおくしか選択肢がない状況はおかしいと考えた。
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坂口安吾は「文士は芸人であり、職人であり、芸道は元来非常識である」としたうえで「泥酔して、何か怪しからぬことをやり、翌日目がさめて、ヤヤ、失敗、と赤面、冷汗を流すのは我々いつものことであるが、自殺といふ奴は、こればかりは、翌日目がさめないから始末が悪い」(『太宰治情死考』)と書いた。太宰の自殺は、自殺というより小説という道を進む者の身もだえであるから、それなら静に休ませてやるがいい、と安吾は言ったのである。
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ベネディクトに言われるまでもなく、たしかに日本人は「恥」ということを大事にし、それだけにたいへん気にする。「世間に対して恥ずかしい」「人前で恥をかく」「恥をしのぶ」「恥を知れ」「恥をそそぐ」「家の恥」「会社の恥」・・・・・・などなど、今日でも日常的によく使われる。
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作家のボブ・グリーンは、長女アマンダの1年間の成長をつづった「ボブ・グリーンの父親日記」(84年)に、こう記している。ほとんどの新米パパ、ママは同じような気持ちをいだくのではないか。
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詩集『智恵子抄』で有名な一節は「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」)の部分だが、光太郎の生涯を通低しているのは食欲と愛欲への希求である。
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元気だったころの彼女の姿ばかりが目に浮かんだ。高校一年生の秋、夕暮れの道を家の近くまで送っていくと、肩にかかった彼女の髪がブラウスの白さを際立たせていた。ブロック塀に映った二人の影を覚えていた。夏の一日、ぼくの横を仰向けに泳いでいく彼女を覚えていた。
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山野井泰史 片方が死んだら、墓を立てる代わりに木を植えようと約束している。僕が死んだらクヌギの木。僕は昆虫がすきで、カブトムシとかが集まったらいいなと。
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「生きっぱなし」とは、いわばゴールの3メートル先を目指すランナーの姿勢、腎臓癌を克服した著者が到達した死生観である。
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私は医者になりたての30歳当時、自分の死の設計図を書き始めました。毎年少しずつ書き直し、30年になります。私が受け持っている患者の性格を見極めたうえで、患者さんにも「設計図書き」を勧めることがあります。私の身内にはがんで死んだ者が多く、私も死ぬときにはがんに違いないと確信していました。ただ、それが結婚して間もなくの30歳で訪れるとは思ってもいませんでした。(中略)
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一緒にいると安心感があった。50メートル先で人が死ぬ現場を見ても、地雷が近い場所にいても、夫のアドバイスを信じていた。
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眼がさめたとき、私は何故か死体のことを考えた。最前線では起こらなかったことである。安全な後方へさがってからかえって痛惨を思い起こすのはどうしてだろうか。あそこでは私は自身に憑かれていず、いつも体を正面の方角に向かってひらき、よこたえ、立たせていたが、堅固で静かなこの白い壁のなかには方角が何もない。それを決定しようとして或る強い力が背をもたげるのだろうか。私は壁にもたれてタバコに火をつけ、記憶をまさぐる。
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よくテレビドラマなどで、退院して行く患者さんを医者や看護婦たちが病院の玄関で見送るシーンが出てくる。礼を述べ、頭を下げながら帰宅の車に乗る患者さん。満足そうな笑顔を向ける医師、看護婦たち。
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「もし私が神だったら、青春を人生の最後にもってきただろうに」という言葉があるそうです。大兄は人生の最後に青春を持つことを望まれますか。
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自殺といえば、三島由紀夫(1925~70)も市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺してセンセーションを巻き起こしました。彼の割腹自殺についていろんな解釈があって、渋沢龍彦(1928~87)の解釈でいうと、同性愛と自己愛の極致ということになります。
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江藤淳は、なかなか「死」に際がすっきりした人だなと思いました。遺書みたいなものがありましたが、あれはいい文章だと思っています。
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川端康成(1899~1972)は、自ら命を絶ちましたが、僕はあの人はなんとなく自然死という感じがしています。ごく自然な感じで、自らの死の方向は浸透していったような静かな死に方だと思いました。
→ウイスキーを飲む稽古
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夏目漱石(1867~1916)は死ぬばかりの病気になって、奥さんや子供たちに囲まれ、「もう泣いてもいいよ」といったそうです。これは伝説で、確かめないといけないんだけど、それで娘さんが泣き出した。本当だとすれば、漱石は「死」に際してその意識は割合に明瞭だったわけですね。
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文学者は「死」とどう向き合ったのか。例えば、森鴎外(1862~1922)は平凡といえばおかしいけど、家族に看取られながら死にました。ただ、鴎外の遺書みたいなものを見ると、「石見に国の住人、森林太郎」とだけ墓石に刻んでくれればいい、他の位階勲章等はいっさい書いてもらっては困る、その旨言い残しています。
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死体について考えはじめて、あることに気がつきました。それは、客観的に「死体」という均一なものが存在しているわけではないということです。
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1977年には病院死が在宅死を上まわり、いまや日本人の大部分は病院で死ぬ時代になってしまった。とりわけガンの患者は九〇パーセント以上が病院死になっている。その結果、人々は死というものを非日常的な空間に隔離し、生・老・病・死という人間の一生の営みを家のなかで起こるひとつながりのものとして、幼少期から自然に学んでいくという機会を失ってしまった。
柳田邦男『「死の医学」への日記』新潮社1996年刊
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それにしてもすごい。たしか三年くらい前だと思うが、日本画家の橋本明治氏が八六歳で亡くなったのを知ったとき、私は思わず、まだこれからなのに・・・・・・とため息をついてしまったほどである。
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"死者は平等である"という意味合いでは、「かわいそうだな」というのはありますが、どうしてそうなったかといえば、「かわいそう」もへちまもない。「自業自得じゃないか」って思いますね。自分が勤めていた幼稚園の同僚の男性のような普通の男性と結婚していれば、こうならなかったはずですからね。
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親鸞は「お寺なんかいらねえ」といって、お経をよむのもやめちゃうし、肉も食っちゃうし、妻帯はしちゃう。当時でいえば、まさに"破壊坊主"です。
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わたしがロスアンジェルスに住んでいるために、あるいは摩天楼の三十五階に勤務しているために、足の使用価値が失われるならば、わたしは貧しいのだ。
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戦争中の雰囲気を知らない世代に、あの「なにか」が戻ってきた。大学紛争のときにそう思いましたよ。いままた、なぜ「同じこと」が戻ってくるんだよ、と考えているんです。
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